エンディングノート
『エンディングノート(映画)』9月7日@シネマート六本木。
東京新聞の試写で長女を除く4人で鑑賞。
応募はがきに“3人の娘の父親です”と書いたら電話がかかってきた。
取材依頼だったのでいいですよと答え4人で行くことになった。
取材といっても、映画みてアンケート書いて写真を撮っただけ。
何かの足しになったのだろうか?はなはだ疑問である。(笑)
(C) 2011「エンディングノート」製作委員会
製作年: 2011年
製作国: 日本
日本公開: 2011年10月1日
上映時間: 1時間29分
配給: ビターズ・エンド
監督: 砂田麻美
プロデューサー・製作: 是枝裕和
音楽: ハナレグミ
キャスト
砂田知昭
他
【ストーリー】
2007年、高度経済成長期に段取り命で働いたサラリーマンの砂田知昭が、40年以上勤めた会社を67歳で退職。
第二の人生を歩み始めた矢先、毎年欠かさず受けていた健康診断で胃ガンが見つかり、すでにステージ4まで進行していた。
そこで砂田は人生最期のプロジェクトとして段取りの集大成、“エンディングノート”の作成に取り掛かる。
【感想】
個人的にも他人事でないテーマだ。
既に親に対する癌告知に立ち会った経験あり。
自分自身が癌告知をうける可能性も高い。
20年前に父親が東大病院で癌の診断をうけた。
まず家族で、「潰瘍ですから切って治しましょう」と説明をうけた。
その後、母と私の二人だけで本当の診断を聞いた。
「S状結腸癌が大きくなり重みで骨盤に落ちている。
相当痛いはず。
肝臓に転移もある。」というもの。
昭和ひとけた世代の父はまだ60歳前だった。
ひたすら働いただけで、それでこんな事になるのかと目の前が真っ暗になった。
一睡もできずに、次の日は日本武道館で将棋の職域対抗団体戦に臨んだ。
勝勢になりながら、もたついてなかなか決着をつけられなかった。
頭の中は将棋どころの騒ぎでないのが実態だったのだ。
しばらく武道館の天井をながめて気を落ち着かせなんとか勝ちきった。
これを勝ち切ればおやじもなんとかなるだろうなんて念をかけながら。
その後、父は高校の先輩でもある武藤徹一郎先生の執刀で手術をうけて完治。
ほとんどの癌は転移があるとダメだが、S状結腸癌は数少ない助かる癌のひとつだ。
そんな経験がスローガン「命短し遊べよおやじ」につながっている。
この映画の主人公砂田さんは、67歳まで働き取締役にまで昇進して新聞に死亡公告が載るような方。
残念ながら助からない癌だった。
したがって亡くなってしまうのだが、映画はお涙頂戴ものではまったくない。
人が死ぬのにこの明るさは何だ?と思うくらい。
それは、ひとえに、砂田さんの人柄だろう。
印象に残ったのは、死の直前の病床での砂田さんの姿である。
病床を見舞ってくれた親友にたいし
「彼とは昔から気が合うんだ。
毛が無いところが。」
最期に近い状況で主治医の先生に
「わたくしごとでごめいわくをおかけして申し訳ありません。
本当にありがとうございました。」
私も会社で数多くのお偉方をみてきたけど、砂田さんには彼らに無いものがあった。
たくさんあると思うけど、ワタシ的に大きくふたつにまとめると以下のふたつだ。
①ユーモア
②感謝の気持ち
特に大きく欠けていると思うのは①。
どんな時でも、このふたつを忘れずにいけば明るく生きていけるだろう。
他人はともかく、私は常にこのふたつを心がけようと思った。
わたしの場合、どちらかと言えば②の方が努力しないと出来ない項目である。
終映後、砂田麻美監督への質問タイムがあった。
「娘がいるけどあまり口利いてもらえない。
どうすればよい関係が築けるかアドヴァイスを。」
監督の回答は
「私はお父さん子だったけど反抗した時期もあった。
ただ、父は約束を守る人だったのでいい関係が崩れることはなかった。」
というようなものだったと思う。
メモ取らなかったので正確ではないが、約束を守るのはたしかに大切だと思ったので付記しておきます。
東京新聞の試写で長女を除く4人で鑑賞。
応募はがきに“3人の娘の父親です”と書いたら電話がかかってきた。
取材依頼だったのでいいですよと答え4人で行くことになった。
取材といっても、映画みてアンケート書いて写真を撮っただけ。
何かの足しになったのだろうか?はなはだ疑問である。(笑)
(C) 2011「エンディングノート」製作委員会

製作年: 2011年
製作国: 日本
日本公開: 2011年10月1日
上映時間: 1時間29分
配給: ビターズ・エンド
監督: 砂田麻美
プロデューサー・製作: 是枝裕和
音楽: ハナレグミ
キャスト
砂田知昭
他
【ストーリー】
2007年、高度経済成長期に段取り命で働いたサラリーマンの砂田知昭が、40年以上勤めた会社を67歳で退職。
第二の人生を歩み始めた矢先、毎年欠かさず受けていた健康診断で胃ガンが見つかり、すでにステージ4まで進行していた。
そこで砂田は人生最期のプロジェクトとして段取りの集大成、“エンディングノート”の作成に取り掛かる。
【感想】
個人的にも他人事でないテーマだ。
既に親に対する癌告知に立ち会った経験あり。
自分自身が癌告知をうける可能性も高い。
20年前に父親が東大病院で癌の診断をうけた。
まず家族で、「潰瘍ですから切って治しましょう」と説明をうけた。
その後、母と私の二人だけで本当の診断を聞いた。
「S状結腸癌が大きくなり重みで骨盤に落ちている。
相当痛いはず。
肝臓に転移もある。」というもの。
昭和ひとけた世代の父はまだ60歳前だった。
ひたすら働いただけで、それでこんな事になるのかと目の前が真っ暗になった。
一睡もできずに、次の日は日本武道館で将棋の職域対抗団体戦に臨んだ。
勝勢になりながら、もたついてなかなか決着をつけられなかった。
頭の中は将棋どころの騒ぎでないのが実態だったのだ。
しばらく武道館の天井をながめて気を落ち着かせなんとか勝ちきった。
これを勝ち切ればおやじもなんとかなるだろうなんて念をかけながら。
その後、父は高校の先輩でもある武藤徹一郎先生の執刀で手術をうけて完治。
ほとんどの癌は転移があるとダメだが、S状結腸癌は数少ない助かる癌のひとつだ。
そんな経験がスローガン「命短し遊べよおやじ」につながっている。
この映画の主人公砂田さんは、67歳まで働き取締役にまで昇進して新聞に死亡公告が載るような方。
残念ながら助からない癌だった。
したがって亡くなってしまうのだが、映画はお涙頂戴ものではまったくない。
人が死ぬのにこの明るさは何だ?と思うくらい。
それは、ひとえに、砂田さんの人柄だろう。
印象に残ったのは、死の直前の病床での砂田さんの姿である。
病床を見舞ってくれた親友にたいし
「彼とは昔から気が合うんだ。
毛が無いところが。」
最期に近い状況で主治医の先生に
「わたくしごとでごめいわくをおかけして申し訳ありません。
本当にありがとうございました。」
私も会社で数多くのお偉方をみてきたけど、砂田さんには彼らに無いものがあった。
たくさんあると思うけど、ワタシ的に大きくふたつにまとめると以下のふたつだ。
①ユーモア
②感謝の気持ち
特に大きく欠けていると思うのは①。
どんな時でも、このふたつを忘れずにいけば明るく生きていけるだろう。
他人はともかく、私は常にこのふたつを心がけようと思った。
わたしの場合、どちらかと言えば②の方が努力しないと出来ない項目である。
終映後、砂田麻美監督への質問タイムがあった。
「娘がいるけどあまり口利いてもらえない。
どうすればよい関係が築けるかアドヴァイスを。」
監督の回答は
「私はお父さん子だったけど反抗した時期もあった。
ただ、父は約束を守る人だったのでいい関係が崩れることはなかった。」
というようなものだったと思う。
メモ取らなかったので正確ではないが、約束を守るのはたしかに大切だと思ったので付記しておきます。
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